赤 穂 城

赤穂城(兵庫県赤穂市上仮屋赤穂城跡公園)
最終訪城日 2002/09/02    撮影日 2002/09/02
赤穂城大手門と隅櫓(共に復元)
 
赤穂城(兵庫県赤穂市上仮屋赤穂城跡公園)
赤穂城本丸門(復元)
 
赤穂城(兵庫県赤穂市上仮屋赤穂城跡公園)
天守台跡(奥)と大池泉(手前)
 
 
   
  別  名  刈屋城、加里屋城
  所在地  兵庫県赤穂市上仮屋赤穂城跡公園
  地  図  MapFanWeb 赤穂城
  電  話  なし
  城の種別  平城
  築城者  岡豊前守
  築城年  室町時代
  歴代城主 

岡豊前守、宇喜多秀家、池田政綱、
浅野長直、永井直政、森長直
  遺  構  石垣、堀、天守台、大手門、隅櫓
  構  造 


本丸、二の丸は輪郭式。三の丸、
二の丸の関係は梯郭式で変型
輪郭式縄張といわれる。
  交  通 

JR赤穂線播州赤穂駅下車徒歩20分
(駅内と駅前にレンタサイクル店あり)
  特  徴 

















この地には室町時代に赤松氏一族の岡豊
前守が刈屋城を築いていたとされる。その
後、天正年間(1573-1592)には宇喜多
秀家が築城、関ヶ原の戦い後の元和5年
(1619)になると池田政綱が入城。さらに
城主は変わり、正保2年(1645)には、浅
野長直が入城。慶安元年(1648)には甲
州流軍学に基づく築城工事を近藤正純の
設計により開始した。築城途中に山鹿素行
の山鹿流軍学も取り入れたため、2派の軍
学を取り入れた近世城郭と伝えられている。  
元禄14年(1701)、浅野長矩が江戸城松
の廊下で刃傷事件を起こしたことから浅野
家は断絶。その後、永井直政が入城。さら
には森長直が宝永3年(1706)に入城、1
1代続き明治を迎え廃城となった。現在の
赤穂城は部分的に復元され赤穂城跡公園
として整備されている。
   

 

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