特 徴
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天正8年(1580)、池田信輝と池田輝政
父子が花隈城を攻め落とした功によって
兵庫の地を与えられてからは、織田信長
の傘下に入った。これを機会に池田氏は
花隈城の遺材も加えて兵庫城を築いた。
その場所は、現在中央市場が建つ中之
島・切戸町である。兵庫城は江戸時代に
入り元和3年(1617)、尼崎藩領となり、
藩の陣屋となり、明和6年(1769)、幕府
領となってからは、大坂町奉行所に所属
して、明治を迎えた。その後、慶応4年(1
868)城内に兵庫鎮台を設けたが、その
後裁判所と名が変わり、兵庫県と改めら
れた。現在は中央市場となり、城趾碑は
西向かいのキャナルブロムナード中央部
に移されている。 |