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別 名 |
なし |
所在地 |
兵庫県宝塚市小浜4毫摂寺 |
地 図 |
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電 話 |
なし |
城の種別 |
平城 |
築城者 |
僧・善秀 |
築城年 |
明応年間(1492〜1501) |
歴代城主 |
僧・善秀、池田氏、三好秀次 |
遺 構 |
土塁、堀 |
構 造
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四方を土塁、外周を天然の水堀で
囲んだ自然を利用した要塞都市。
東西400m、南北750mの範囲 |
交 通
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JR福知山線宝塚駅下車
阪神バス小浜バス停下車徒歩5分 |
特 徴
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小浜城は、浄土真宗毫摂寺(ごうしょうじ)を
中心とした寺内衆であり、築城は明応年間
(1492〜1501)で、戦国時代一向一揆で
知られる一向勢力の拠点のひとつであった。
町の四方に土塁を廻らし、大堀川や池を用
いた自然要害で防御を固めた城郭であった。
史実には、天正6年(1578)の有岡城主・
荒木村重の謀反の際に、村重討伐のために
織田信長方の武将が在城した。天正8年
(1580)有岡城落城の後、池田信輝・輝政
が所領。さらには本能寺の変の後には、美
濃国へ移封となって尼崎城主の三好秀次が
所領している。 |
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