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別 名 |
聚楽城、内野御構 |
所在地 |
京都市上京区浄福寺通中立売下ル菱丸町 |
地 図 |
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電 話 |
なし |
城の種別 |
平城 |
築城者 |
豊臣秀吉 |
築城年 |
天正14年(1586) |
歴代城主 |
豊臣秀吉 |
遺 構
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大徳寺唐門、妙覚寺表門、分銅町松林寺
境内の濠跡、八雲神社の『もち』の老木、
梅雨の井など |
構 造
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正親小学校を中心とし、東は大宮通、西は
千本通、南は下立売、北は一条通に及ん
だ。東西600m、南北700mで、二条城を
一回り大きくした程の広さ。 |
交 通
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JR東海道本線京都駅下車京都市営バス
50号智恵光院中立売バス停下車すぐ |
特 徴
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聚楽第は豊臣秀吉が天正15年(1587)、
京都における自らの邸宅として造園したも
のである。しかし周囲に濠を巡らしていた
事から聚楽城とも呼ばれていた。文禄4年
(1595)養子・豊臣秀次が謀反の疑いに
よって追放されると間もなく取り壊され、廃
材の多くは伏見城や寺院に移された。 |
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