聚 楽 第

聚楽第(京都府京都市上京区浄福寺通中立売下ル菱丸町)
最終訪城日 2001/08/10    撮影日 2001/08/10
聚楽第跡碑
 
   
  別  名  聚楽城、内野御構
  所在地  京都市上京区浄福寺通中立売下ル菱丸町
  地  図  MapFanWeb 聚楽第
  電  話  なし
  城の種別  平城
  築城者  豊臣秀吉
  築城年  天正14年(1586)
  歴代城主  豊臣秀吉
  遺  構 


大徳寺唐門、妙覚寺表門、分銅町松林寺
境内の濠跡、八雲神社の『もち』の老木、
梅雨の井など
  構  造 



正親小学校を中心とし、東は大宮通、西は
千本通、南は下立売、北は一条通に及ん
だ。東西600m、南北700mで、二条城を
一回り大きくした程の広さ。
  交  通 
 
JR東海道本線京都駅下車京都市営バス
50号智恵光院中立売バス停下車すぐ
  特  徴 






聚楽第は豊臣秀吉が天正15年(1587)、  
京都における自らの邸宅として造園したも
のである。しかし周囲に濠を巡らしていた
事から聚楽城とも呼ばれていた。文禄4年
(1595)養子・豊臣秀次が謀反の疑いに
よって追放されると間もなく取り壊され、廃
材の多くは伏見城や寺院に移された。
   

 

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