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別 名 |
地黄御陣屋、丸山新城 |
所在地
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大阪府豊能郡能勢町地黄904−1
能勢町立東中学校 |
地 図 |
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電 話 |
なし |
城の種別 |
丘城 |
築城者 |
能勢氏 |
築城年 |
慶長7年(1602)〜元和元年(1615) |
歴代城主 |
能勢氏 |
遺 構 |
石垣、堀 |
構 造
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縄張りは、東西75m、南北110m、面積
8200u。石垣を高く築き高塀が設けられた。
城内には御殿、官宅をはじめ十数屋舎が配さ
れ、北隅には三層の楼閣も設けられた。 |
交 通
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能勢電鉄妙見口駅下車 京都バス奥の院
バス停下車徒歩すぐ |
特 徴
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本来、丸山城が能勢氏の本城であったが、河原
長右衛門宣勝らにより攻め入られ、丸山城下は
焼け野原にされた。その後、高山右近ほか数代
を経て、天正16年(1588)、島津氏の領地とな
った。能勢氏は関ヶ原の合戦において東軍に組
みし、軍功により旧領1万石となった。その際、
慶長7年(1602)〜元和元年(1615)にかけて、
能勢頼次は新しく地黄城と城下町の構築に着手
した。明治に入り藩籍奉還により廃城を迎えた。 |
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