大 和 田 城
最終訪城日 2001/01/19 撮影日 2001/01/19 |
大和田城趾石碑 |
別 名 | 大矢田城 |
所在地 | 大阪府大阪市西淀川区大和田4−3大和田小学校内 |
電 話 | 不明 |
城の種別 | 平城 |
築城者 | 阿波座仁右衛門 |
築城年 | 天正8年(1580) |
歴代城主 | 下間氏・荒木村重・阿波座仁右衛門 |
遺 構 | 石碑 |
構 造 |
織田信長が水際で毛利水軍を 食い止めるために築かせた守衛城 |
交 通 |
JR片町線御幣島駅下車 大阪市バス支線92 「大和田五丁目」下車徒歩2分 |
特 徴 |
元亀元年(1570)本願寺と織田信長の間で石山合戦が 始まり、その際、本願寺の下間氏が大和田に出城を築い ている。しかし天正3年(1575)中津川で織田方の荒木 村重と戦い敗れ大和田城は攻め落とされた。翌年の天正 4年(1576)、荒木村重は織田信長の命で石山本願寺 包囲のため吹田・尼崎など10城を築いたが、その中の ひとつが大和田城で、阿波仁衛門を城代としている。天正 8年(1580年)に石山合戦も終るが、この年に再度、織田 信長が阿波仁衛門に築城を命じた。その目的は、一向一 揆の再発や、毛利水軍による大坂方面への襲撃を水際で 防ぐためであった。いずれにしても大和田城は軍事的要衝 の地であったことに違いはない。現在は、大和田小学校内 に大和田城趾碑がある。この碑は、もとの城垣内町(現・ 西淀川区大和田5−3の市営住宅の付近)の空き地にあ ったものを、住宅建設にあたり移したものである。 |