特 徴
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沢良宜城の築城年は不明だが、応永6年(1399)
には、足利義満の堺進攻の際に沢良宜城主・藤井
三位も「御馬廻り免状」をもらい、家臣を従え出陣し
た記述が残っている。ちなみに御馬廻りとは、室町
幕府直参のの旗本のことである。当時の沢良宜城
の規模は、三千坪の環濠を持つ城郭として相当な
力を持っていた。さらには、隣接した佐和良義神社
の拝殿前にある八幡神社は城の守護神で、南北に
ある長い参道は乗馬訓練の馬場と伝えられている。
また、廃城を迎えた時期は、応仁の乱(1467〜
1477)の頃、もしくは1400年代の早い時期であろ
うと言われている。現在の沢良宜城は、マンション
や住宅となり、当時を偲ばせる遺構は何も見あたら
ない。 |