特 徴
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天正4(1576)3月、本願寺顕如は石山
本願寺に籠もり籠城戦を始めた。その際、
織田信長は、天王寺口の攻め手を原田
直政として天王寺城を築かせた。本願寺
側も木津と桜の岸(天満橋南詰あたり)
に砦を築き、木津川を通じ海上と連絡を
取った。それを知った織田信長は、天正
4(1576)5月、原田直政、筒井順慶ら
に攻撃させた。しかし本願寺勢は強く、
逆に木津川口で原田直政は討たれる事
となる。強攻戦を適当では無いと判断し
た織田信長は、石山本願寺には長期包
囲戦術を取る事になる。天王寺城には、
佐久間信盛、佐久間勝正父子と松永久
秀が詰めていたのではあったが、天正8
年8月、和議により本願寺顕如勢は石山
本願寺より退去。佐久間父子は何も出来
なかった事を理由に高野山に追放された。
その後、天王寺城は取り壊された。天王
寺城は現在の月江寺付近であったと伝え
られる。 |