矢 尾 城

矢尾城(大阪府八尾市本町7−7八尾神社)
最終訪城日 2001/05/03    撮影日 2001/05/03
矢尾城趾碑

 

   
  別  名  なし
  所在地  大阪府八尾市本町7−7八尾神社
  地  図  MapFanWeb 矢尾城
  電  話  なし
  城の種別  平城
  築城者  八尾別当顕幸
  築城年  建武4年(1337)以前
  歴代城主  八尾別当顕幸、池田丹後守教正
  遺  構 
  構  造 

西郷から木戸にかけての地域(現本町)が
縄張りであった。(西郷説)
  交  通  近鉄大阪線近鉄八尾駅下車徒歩5分
  特  徴 















矢尾城は、南北朝期の八尾別当顕幸によ
って築かれた城である。八尾別当顕幸が南
朝方に帰してからは、北朝方に占拠され、
河内における重要な城郭となる。イエズス
会日本年報によると、戦国時代末期、矢
尾城はキリシタン武将・池田丹後守教正の  
居城であり、城下には、数多くのキリシタン
が住んでいたと伝えられる。その後、池田
丹後守教正は豊臣秀吉により美濃に移封
され、矢尾城は廃城となる。ちなみに、八
尾城の所在地については、常光寺を含む
西郷から木戸にかけての地域(現本町)で
あったとする『西郷説』と、旧大和川に面し
た別宮から八尾座にかけての地域(現南
本町・高美町・安中町)であったとする『八
尾座説』の2説がある。
   

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