|
|
別 名 |
なし |
所在地
|
太田城城門(和歌山市橋向丁5大立寺)
太田城址碑(和歌山市太田来迎寺) |
地 図 |
|
電 話 |
不明 |
城の種別 |
平城 |
築城者 |
国造紀俊連 |
築城年 |
延徳年間(1489以降) |
歴代城主 |
国造紀俊連、太田源太夫、太田左近宗正 |
遺 構 |
大立寺に現存移築門 |
構 造 |
約250m四方の城 |
交 通 |
JR和歌山線和歌山駅下車徒歩10分(城門・碑共に) |
特 徴
|
太田城は、延徳年間に国造紀俊連が築き、天正4年に太田源太夫が改築
した。天正13年、豊臣秀吉は紀州討伐を行った。この際、太田左近宗正は
秀吉に従わず、太田城 に籠城した。秀吉は、根来寺に火を放ち、太田城郭
に水を張り、水攻めによって太田城を落とそうとした。しかし守りは堅く、すぐ
には落城しなかった。その後、籠城1月余日で、太田一族の自刃という形で
開城となる。 |
|
|