太 田 城

太田城城門(和歌山県和歌山市橋向丁5大立寺)  太田城址碑(和歌山市太田来迎寺)
最終訪城日 2000/12/14    撮影日 2000/12/14 撮影日 2000/12/14
太田城現存移築城門(和歌山市橋向丁5大立寺) 太田城址碑(和歌山市太田来迎寺)
 
   
  別  名  なし
  所在地 
太田城城門(和歌山市橋向丁5大立寺)
太田城址碑(和歌山市太田来迎寺)
  地  図  MapFanWeb 太田城
  電  話  不明
  城の種別  平城
  築城者  国造紀俊連
  築城年  延徳年間(1489以降)
  歴代城主 国造紀俊連、太田源太夫、太田左近宗正 
  遺  構  大立寺に現存移築門
  構  造  約250m四方の城
  交  通  JR和歌山線和歌山駅下車徒歩10分(城門・碑共に)
  特  徴 





太田城は、延徳年間に国造紀俊連が築き、天正4年に太田源太夫が改築
した。天正13年、豊臣秀吉は紀州討伐を行った。この際、太田左近宗正は
秀吉に従わず、太田城 に籠城した。秀吉は、根来寺に火を放ち、太田城郭
に水を張り、水攻めによって太田城を落とそうとした。しかし守りは堅く、すぐ
には落城しなかった。その後、籠城1月余日で、太田一族の自刃という形で
開城となる。
   
 

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