小 谷 城
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| 最終訪城日 2000/12/16 撮影日 2000/12/16 |
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| 小谷城址碑 |
| 別 名 | 鼎城 |
| 所在地 | 大阪府堺市豊田1602−1 |
| 電 話 | 0722-96-8435 |
| 城の種別 | 平山城 |
| 築城者 | 上神庄司太夫四郎政有 |
| 築城年 | 寛喜3年(1231) |
| 歴代城主 |
歴代上神家 太夫四郎政有・権之進則常 左近将監常信・太夫進種氾・左太夫政長 |
| 遺 構 | 現存移築門 |
| 構 造 | 標高80メートルに建てられた城郭であった |
| 交 通 |
泉北高速鉄道泉ヶ丘駅下車 南海バス豊田南下車徒歩5分 |
| 特 徴 |
小谷城は自然の山岳を用いた平山城として、 鎌倉時代にはすでに用いられたと伝えられる。 また、小谷城は、栂山城・豊田城と共に鼎城と 呼ばれていた。上神家23代・太夫進種氾の 際、天正3年(1575)織田信長の根来征伐が あり、和泉の寺社仏閣から城主に至るまで総 て根来党であったため、信長の反感をかい落 城することとなる。その際、城主は城に火を放 ち自らは逃げ鉢ヶ峰で切腹を試みようと考えた が、既に信長軍がまわっていたため、一本松 にて切腹した。その後、小谷城には子孫が住 み、現在まで400年に続いている。 |
| URL |
http://www.sakai-tcb.or.jp/tourism/ kankouspot/kotanijo.html |
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