徳 島 城
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| 最終訪城日 2000/01/18 撮影日 2000/01/18 | 
| 徳島城鷲の門(平成元年復元) | 
| 別 名 | 渭山城、渭津城 | 
| 所在地 | 徳島県徳島市徳島町城内1 | 
| 地 図 |  | 
| 電 話 | 088−656−2525(徳島城博物館) | 
| 城の種別 | 平山城 | 
| 築城者 | 細川頼之 | 
| 築城年 | 至徳2年(1385) | 
| 歴代城主 | 細川頼之、蜂須賀小六正勝、蜂須賀家16代 | 
| 遺 構 | 堀、石垣、庭園 | 
| 構  造 | 海抜63mの山頂に本丸を、西側に二の丸、 三の丸を配して、東側の中腹平坦部に三 層の天守を備えた城郭。 | 
| 交 通 | JR徳島線徳島駅下車徒歩5分 | 
| 特  徴 | 至徳2年(1385)、細川頼之が小城を築き 渭津城と名付けたが規模等の詳細は不明 である。その後、信長が本能寺の変で倒れ、 秀吉の天下統一が各地で展開されたが、 豊臣秀吉の四国征伐の際、家臣・蜂須賀 小六正勝の軍功抜群が認められ、阿波1国 17万石の大名となった。蜂須賀家はその 後、関ヶ原の戦い、大阪両陣で淡路一国7 万石が加増され、25万石の大名となった。 以来、16代・300年の長きにわたり栄え、 明治維新を迎える事となった。その後、明 治8年(1875)に徳島城は解体される事と なるが、鷲の門だけは徳島城のシンボルと して残されることとなる。しかし昭和20年(1 945)の徳島大空襲により鷲の門は焼失し たが、平成元年に復興され現在に至ってい る。 | 
| URL | 徳島城博物館 |