中 野 城

中野城(山形県山形市中野506大郷小学校)
最終訪城日 2001/09/03    撮影日 2001/09/03
大郷小学校に建つ史蹟中野城址碑
最上川に通じる須川(山形県山形市中野506)
庄内との交易に一役かっていた最上川に通じる須川
 
   
  別  名  中野館
  所在地  山形県山形市中野506大郷小学校
  地  図  MapFanWeb 中野城
  電  話  なし
  城の種別  連廓式平城
  築城者  最上満基
  築城年  応永年間(15世紀初め頃)
  歴代城主 

中野満基、中野満氏、中野義淳、
中野義建、中野義清、最上義時
  遺  構  大郷小学校地区に残る地名
  構  造 





本丸は東西約340m、南北約250m、
約73.00u、二の丸を含めると171.
500u。内堀は幅6mから10mで、
高さ2mの土塁を巡らし、二の丸にあた
る南西部には外堀を持ち東北部には
寺院を配置していた。
  交  通 


JR奥羽本線山形駅下車バス間沢・谷地
 ・寒河江線中野バス停下車徒歩10分
JR奥羽本線漆山駅下車タクシー10分
  特  徴 















中野城は山形城の支城として最上満基が  
応永年間(15世紀初め頃)に築いた連廓
式平城である。中野城の規模は、本丸は
東西約340m、南北約250m、約73.0
0u、二の丸を含めると171.500u。内
堀は幅6mから10mで、高さ2mの土塁を
巡らし、二の丸にあたる南西部には外堀
を持ち東北部には寺院を配置していた。
大郷小学校西側に位置する須川は水上
交通の手段として庄内との交易にも一役
かっていたと伝えられる。6代・最上義時
の際、兄・最上義光との家督争いから不
和となり天正3年(1575)、最上義光の
夜襲にあい、中野氏は滅亡する。元和8
年(1622)、最上氏改易後と同時に廃城
・破却となる。
   

山形県の城郭へ戻る