|
|
別 名 |
中野館 |
所在地 |
山形県山形市中野506大郷小学校 |
地 図 |
|
電 話 |
なし |
城の種別 |
連廓式平城 |
築城者 |
最上満基 |
築城年 |
応永年間(15世紀初め頃) |
歴代城主
|
中野満基、中野満氏、中野義淳、
中野義建、中野義清、最上義時 |
遺 構 |
大郷小学校地区に残る地名 |
構 造
|
本丸は東西約340m、南北約250m、
約73.00u、二の丸を含めると171.
500u。内堀は幅6mから10mで、
高さ2mの土塁を巡らし、二の丸にあた
る南西部には外堀を持ち東北部には
寺院を配置していた。 |
交 通
|
JR奥羽本線山形駅下車バス間沢・谷地
・寒河江線中野バス停下車徒歩10分
JR奥羽本線漆山駅下車タクシー10分 |
特 徴
|
中野城は山形城の支城として最上満基が
応永年間(15世紀初め頃)に築いた連廓
式平城である。中野城の規模は、本丸は
東西約340m、南北約250m、約73.0
0u、二の丸を含めると171.500u。内
堀は幅6mから10mで、高さ2mの土塁を
巡らし、二の丸にあたる南西部には外堀
を持ち東北部には寺院を配置していた。
大郷小学校西側に位置する須川は水上
交通の手段として庄内との交易にも一役
かっていたと伝えられる。6代・最上義時
の際、兄・最上義光との家督争いから不
和となり天正3年(1575)、最上義光の
夜襲にあい、中野氏は滅亡する。元和8
年(1622)、最上氏改易後と同時に廃城
・破却となる。 |
|
|