特 徴
|
田丸城は建武3年(1336)、後醍醐天皇を
吉野に迎えようと伊勢に下った北畠親房が、
玉丸山に城を築いたのが始まりで、室町時
代には北畠氏の支城として機能していた。
天正3年(1575)、織田信長の次男、織田
信雄が本丸、二の丸、北の丸、三層三階
天守閣を築きあげたが、天正8年(1580)
火災により天守閣は焼失。その後、稲葉氏、
藤堂氏、久野氏と城主が代わった。明治2
年(1869)に廃城となり、明治4年(1871)
には城内の建物は取り払われ、昭和3年
(1928)に玉城町所有地となり町民に開放
されている。ちなみに廃城当時、城内には8
つの門が残されていたが、富士見門は江戸
中期の物で当時の原型をとどめ、現存する
唯一の建造物である。さらには、玉丸城三の
丸に建てられていた御殿の一部と言われる
奥書院は明治維新後、払い下げられていた
が約120年ぶりに移築された。 |