特 徴
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この城を築城した筒井順慶の養子、筒井
定次は、豊臣秀吉から羽柴の姓を賜り、
郡山城から入封した。城を築いた所には
元来、平氏の祈願寺の平楽寺と薬師寺、
織田信雄の家臣、滝川雄利が築いた小
砦があったとされる。築城された城の規
模は、3層の天守、本丸西側に二の丸、
北側に三の丸を設けたものだったと伝え
られる。慶長5年(1600)、筒井定次は
徳川家康に従い越後の上杉景勝を討つ
為、城を開け東進した。ところが、高槻城
主の新庄直親が攻め込み落城。驚いた
筒井定次は急遽引き返し、筒井古城を奪
い返した。その後、筒井家中でお家騒動
があり、徳川家康は慶長13年(1608)
領地没収。伊予今治から藤堂高虎を呼び
寄せ、後に筒井古城は上野城に取り込ま
れることとなる。 |